オッペンハイマー
クリストファー・ノーランは、この映画をいくつもの伏線とストーリーが複雑に絡み合った物語りに仕上げている。
オッペンハイマーの学生時代から共産主義シンパの時代、そして原爆開発とその後、裏切りとレッドパージ、没落の時代。
これらの時間軸をモノクロとカラーのシンクロで描いていた。年代や人名の字幕は殆ど無い180分の上映。
1度観ただけでは、全てを理解することは難しい。予習と復習が必要な映画。
ただ1つだけ観えたことは、オッペンハイマーと原爆を批判的に描いている、ということだ。
地球の大気を焼き尽くす可能性があったにも関わらず、核実験を強行する狂気。
ドイツが降伏した後、日本への原爆投下を進めた愚業。これらを経て色濃く疲弊していくオッペンハイマーの晩年の姿を悲壮的に描いてたと思う。
アメリカ合衆国は、国力を総動員して原子爆弾の製造に盲進した。
ドイツが降伏し、原爆投下が不必要になったにもかかわらず、日本に原爆を投下した事実は、歴史の汚点としか見えない。
地球を破壊しかねない技術をどのように使っていくのか、どのように管理していくのか、国際的な議論とコンセンサスが必要なのだということが理解できる。
アメリカは今、オッペンハイマーの時代と同じように、量子コンピューターの技術開発に国家総動員で取り組んでいる。
中国や北朝鮮を牽制するという主張だ。マンハッタン計画の繰り返しである。
もし量子コンピューター技術が確立され、アメリカの独占になれば、アメリカはネット社会において誰も敵わない全能の神になる。
自国の利益と国益の追及の果てにはいった何があるのか。
一方への富や技術の集積と他方での貧困と憎しみの蓄積。この連鎖を増幅させるだけではないか。
こんなことを鑑賞後に感じざるを得なかった。