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再生の川



 ■あれは確か5年ほど前の初夏の出来事。
 私は友人と近所のN川で釣りの約束をしていた。
 約束の時間に合流した我々は、薫風を感じながら身支度を整え、対岸に分かれて入渓した。近所といえども、そこは初めての流れであった。ゆっくりゆっくりと歩を進めながらプレゼンを繰り返していった。しばらくすると、友人のフライに小型の山女魚が反応した。ネットを覗いてみると、ビビットなパーマークを纏った山女魚が、煌めきながら美しくそこに収まっていた。そこから100
m程先のプールで、今度は私に20cm前後の美しい山女が静かに姿を見せてくれた。
 予想外の山女魚たちとの出会いに、私たちは狂喜乱舞していた。我々の思いの中では、「
N川はもう『死に体』、『終末期の里川だ』」という思いが存在したままでの釣行であったからである。それだけに驚きと嬉しさが込み上げて来たのだった。

 ■N川は数年前の大型台風の影響で荒れ狂い、近隣の住民に激甚な被害を与えた川だった。褐色の濁流が普段のコントロールを失い、周辺地域に被害を拡大させがら流れて行った。ようやく普段の流れに落ち着いた頃には、数十年に一度という被害を地域に与えていた。この所業に対する行政の対応はN川の去勢であった。川底すべてをコンクリートで固め、強固な用水路に変貌させた。人間に例えればPenalty Life(終身刑)を執行されたようなものである。地域のマスコミはこの対応を批判的に報道し、生態系の保全を強く述べたのだが、全ては工事が施された後の祭りであった。確かに河川被害による住民の苦悶は並大抵なものではなかったのだろうが、「ここまでやるのか」という思いが当時私の心の中にこみ上げてきた。違った対策を模索できたはずである。これ以来、山女や鰍が生息していたN川は、釣り人が見向きもしないコンクリートの水路となってしまった。どこにでもある話しであるが、小さい頃から親しんでいた河川だけにショックも大きかった。

 ■このようなN川にあえて釣行したのは、「N川で山女がぽつぽつ釣れ始めている」という情報を耳にしたからだった。餌釣師からの情報であったが、田植えが始まるほんの数週間、山女が釣れ始めているというのである。この情報を聞き、興味本位で入渓した私たちであったが、気がつくと初夏の一日、私と友人は山女を釣り続けた。入渓してから1時間あまり、結局2人で5匹の山女を釣り上げた。ストマックポンプで胃の内容物を調べてみると、ほとんど無傷のドジョウと消化途中のメイフライの塊がゴロっと出てきた。キャスティングの手を休め、ふと足元を見ると、鰍が岩の陰に張り付くように隠れているのがわかった。N川の再生を感じ始めたのはこの瞬間からである。
 
 ■なぜ一度瓦解した河川が復活したのか、という理由はいまだかつてはっきりしていない。ただ思い当たることは、「去勢」から数年たったコンクリートの川底が摩滅してきているということである。その上に無数の小石が覆いかぶさって、魚や水生昆虫の隠れ家ができているようであった。更に護岸の木々も伐採されずに放置され、流れに枝を伸ばしていた。「一度コンクリートで固めた河川は、見向きもしない」という行政の姿勢が幸いしたのだろうか。水生昆虫と川魚、護岸の木々とのネットワークの中で、
N川は自己治癒しつつあったのである。その時私は、「川の再生の現場に居合わせていること自体、素晴らしい希薄な体験である」と流れの中で痛感していた。破壊の現場には嫌というほど直面してきたが、「川の再生」を体感したことがなかったからである。
 
 ■「
N川の再生」という感動に酔いしれていた私たちだったが、気がつくと西の空は既に夕暮れに染まっていた。茜色の空を無数のメイフライがせわしくせわしく飛翔している。それに見とれていた私に「そろそろ帰るべし」と友人が対岸から声をかけて来た。この声に促されるように私はN川を後にした。


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